カテゴリー: 短編・掌編

堂々巡りの現実

 一番落ち着く場所はトイレなんだと言ったらそうか、と頷かれた。
 確実に一人になれる場所というとここしかないじゃない。そう力説したら、まあそうだよねぇ、と笑った。
 便座に座ってカタログめくるのが至福なんだよ。換気扇のパタパタする音を聞きながら、今日の夕食何にしようとか考えるのがいいんだよ。そろそろトイレットペーパーの補充もしないとなぁ、って結局現実からは逃れられないの。
「ああ、なんだ。現実から逃れたいのか」
 合点がいったとばかりに言葉にされて、私は「そういうわけじゃないんだけどね」と悪あがきをする。
 そうそう、そういうわけでは、なんだよ。
「そうじゃなくて、何ていうか、現実がうすぼんやりしているというか」
「うすぼんやり、ねぇ」
 自分でも上手くできない感覚を読み取ってもらおうというのが無理というものか。
 もてあましている“何か”を一人で整理できないから、こうして誰かに話してまとめようとしている。付き合ってくれて、ありがとう。
「ま、でも。うすぼんやりでもいいんじゃないの」
 現実ってそういうことあるしね、と何て事ないように言われてしまった。
 うすぼんやり。自分で言ってみて、妙に座りが悪い。地に足がついていないのか、ふわふわして実感が伴わないのか。自分が自分をやっているのが、少しだけ疲れているのだろうか。現実というものを肌では感じていても、あいまいな、自分の存在がわからなくて困っているようだ。こうしてぐちゃぐちゃと考えていることも、現実なんだろうけれど。
 とかく、自分が“生きている”ことが重くて怖くて投げ出したくなることが、ある。
「ヒマなんだよ、それだけ」
「だよねぇ。時間があるからあれこれ考えちゃって」
「ん。ちょっと羨ましい」
 さらりと言われたのに、私は上手く反応ができずに流してしまう。
 結局、とどのつまり、私はヒマなんだと思う。一人現実がどうのと考えるだけの余裕があるんだろう。明日をも知れぬ身ならば、今をどうするかしか考えないだろうし。平日の昼間からこうして自宅でお茶を飲みながらソファーに寝転がっているのだから。
 堕落した人生。などと、恰好良く言ってみたものの、ただのニートだ。
 このままではいけないと思うには思う。けれど、現実、このままできてしまっている。
「先のこと考えたら、このままじゃいられないと思うけれどね」
 ご尤も。
 まずは、そう。簡単なことからでもはじめないと。うすぼんやりとした現実から、逃げ出す? 抜け出すことを考えないと。
 その為に、私にできること。
 湯のみのお茶を飲み干す。ソファーから起き上がり、キッチンへ。湯のみを洗って、ついでに急須も片づける。玄米茶はやっぱりおいしいよねぇ。お茶の葉もそろそろ補充しなくちゃだし。
 外は晴天。上着を着る。
 とりあえず。
 外へ、出よう。

 

 外へ。出た。
「……」
 反射的に、しまったと思った。
 我ながらとんでもなくわけのわからないことをしてしまったものだ。
 このままでは駄目だと思ったので、引きこもっていた家から出てみたのだ。ヒマで時間をもてあましているので――本来なら時間をもてあますなど贅沢すぎて刺されても致し方ない所業だろう――何かをはじめようかと重すぎて困っていた腰を上げてみたのだ、が。
「帰りてぇ」
 俯いたまま地面の石ころと目が合った。きみはこんな所で何してるの? ああ、転がっているのか楽しいのかい。私も転がる人生なんてちょっとやってみたい気がするよねぇ。実際そんなことになったら、どうしようもなくなって殻に閉じこもるんだろうけれど。
 駄目だ駄目だ駄目だダメだ!
 太陽の光が眩しいし。人とすれ違っちゃったし。車が追い越して行ったよ。ああ、無理。ムリムリ。
 萎えかけた心を立て直すのは難しいのだと感じた。それでも前へ、と思えたらどんなに楽だろう。
 人間には立ち向かう力があるんだよ。
 うん。それは、時と場合によるよね。
 現実から逃れたい。生きるの重い。適当な理由をつけて、ダラダラしたかっただけ。面倒くさくて楽をしたくて。いかに手を抜くかを考えて。
 そんなこと考える間に動けばいいのだけれど。私の体は本当に重くて困る。何度も脳に指令を送るのだけれど、シナプスさんちょっと頑張って下さいよ、とまた他人任せ。いやいや、私の体って私が動かしているんでしょうに。
 結局。とどのつまり。
「変わんないよね」
 外へ出たからといって劇的に変わることなんて、ない。分かってはいるのだけれど、少しだけ敗北感。自分の心の問題は自分自身で折り合いをつけるしかないわけで。
 要は、気分転換。
 うすぼんやりとした現実はうすぼんやりとしたまま。
「そういうもんかね」
 思い切って顔を上げたら風が吹き抜けた。そういうことなのか、と思った。
 お茶の葉を買って帰ろうと思った。けれど、上着のポケットを探っても財布がない。忘れてきたようだ。全く、何をしに外へ出てきたのやら。
「抜け出すのも簡単じゃないよねぇ」
 そんなに簡単なことではないのだ。もっともっと時間をかけなければならないのかもしれない。もっともっと切羽詰まらないといけないのかもしれない。もっともっと勇気をもったり意志の力を示したりなんてことないのだと思わなければならないのかもしれない。
 荷が重い話だ。
 ため息はやめておこう。幸せが逃げるらしいから。
 無性にトイレにすくみたくなった。

 

「おかえり」
「ただいま」
 それきり何も言われないので、私はほっとする。
「はい、どうぞ」
「ん」
 無造作に渡されたのは、カタログ。お茶の葉買ってこなかったよね、と決めつけで言われた。その通りなので頷いておく。財布置いてくとかどんだけ抜けてんの、と笑われた。本当に仰る通り言う通り然り大正解。
「ごゆっくり」
「……どうも」
 ありがとう、と言うのはおかしい気がしたので曖昧に返した。
 こんなもんだろ、私の人生。
 とりあえず、トイレのドアを開けた。

 

(初出:2015.4.27)

左様なら

 私は、人形の髪の毛を切っていた。
 ジャク、ジャク、ジャク、ジャク、ジャクジャク。
 鋏を入れる度に、髪の毛はどんどん短くなる。
 ジャク、ジャク、ジャク、ジャク、ジャクジャク。
 長かった髪の毛はみるみる短くなり、短くなりすぎて鋏が入らなくなる。
 それでも私は、髪の毛を切り続ける。
 短くなりすぎた髪の毛を一本一本、無理矢理鋏でつかんで。
 ジャク、ジャク、ジャク、ジャク、ジャクジャク。
 髪の毛を切られた人形は無残な頭になった。
 ほとんどなくなった髪の毛。
 私は。
 その僅かな髪の毛を、そっと撫でた。
「切ったから、揃えないと」
 そっとそっと、髪の毛を撫でる。
 短いから上手くはいかない。
 けれど、きれいにきれいになるように。
 ひどい髪の毛になった人形が、ぽっかりと空いた作りものの瞳で見ていた。

 ああ、私は。壊したいのかもしれない。
 髪の毛を切って切って切りまくって。
 なくなった髪の毛をなかったかのように、揃える。
 見上げる瞳は驚くほど静かで、何もなかった。

 

 足がすくんだ。
 自分が何を見ているのか、暫く解らなかった。
 コレは何だろう何が起こっているのだろう。
 そもそも、自分はどこに立っているのだろう。
 歩いて来たのだろうか。飛んできたのだろうか。誰かにつれて来られたのだろうか。
 いつの間にか。気づけば、ここにいた。
 そして、コレを見ている。

 いつも通りだった。何も変わらない、日々。家に帰れば笑顔があった。ただいま、と言えばおかえり、と返る。どうということもない日常があった。
 ひとりではないのだと思えば嬉しかった。

 ひどく恐ろしかった。怖くて怖くて心臓の音が体中に響いていた。呼吸をするのが難しく口から吐いた息がやけになま温かかった。
 私は、一体何を見ているのだろう。
 私の目に映るものは、一体何なんだろう。
 ああ、目が、合った。

 

 人形。
 そう、それは人形だった。
 私が、髪をジャク、ジャク、ジャク、ジャク、ジャクジャクと切った。切った後、そろえた。
 人形の隣に真っ白なものが落ちていて。ひどく白く白く何色にも染まらない白すぎる何かが落ちていて。布だろうか。ふわりふわりと風もないのに揺れている。
 私はそれが、何だか解っていた。
 人形の着ているものを見れば解りきったことだった。
 白い、どこまでも白く白く白すぎる……白無垢。
 人形は、婚礼衣装を着ていた。白無垢に、見るも無残な髪の毛。
 落ちていたのは、綿帽子。
 白無垢と髪の毛がとてもアンバランスで。人形の目がうつろにこちらを向いている。
 目が合った。筈なのに。人形と私の視線は合っているようで合っていない。
 その人形の左にも、人形が居た。
 紋付き袴の、同じ顔をした人形が。
 ――そちらは髪の毛が、なかった。
 ぽっかりと空いた目は私の方を見ていた。
 私は二体の人形から目が離せず、動けずにいた。
 婚礼衣装を来た二体の人形。
 なぜだか、なぜだか、とてもとても怖くて足がすくんだ。

 影は唐突に私の目に入ってきた。
 二体の人形を後ろに。
 いくつもの影。
 ゆら、ゆら、と揺れている影。
 目が、勝手に焦点を結んでゆく。やめて、それは見ちゃいけないと脳が言っている筈なのに目は確実にそれを拾ってゆく。焦点が像を結ぶ。影は形になり、形は色になりモノになり、私の中で“何”かが判明する。
 いくつもの揺れる影は人形だった。
 何体も何体もゆらゆらと。
 身動きしない婚礼衣装の二体の人形の後ろの上の方で。ゆら、ゆら、と。
 人形は全て、首を吊っていた。
 天井から垂れさがるようにして揺れていた。
 息が、私は息の仕方が一瞬解らなくて。
 でも唐突に気が付いた。

 

 人形。
 ――ああ、そうか。
 死んでしまったのか、と。

 

(初出:2012.10.18)

刀護

 すらりと抜かれた刃に、彼女は目を細めた。
 そんな彼女の反応は気にも留めず、刀護(かたなもり)は鞘を無造作に腰紐へ押し込み、刀を右手に握った。
 とはいえ、構えるでもなく腕はだらりと下げたままだ。
「……あー、ったく」
 がしがしとあいている手で頭をかき、刀護は緊張感のない声を息と共に吐き出した。
「かったりぃ」
 惜しみなく本音をぶちまけ、刀護は欠伸をする。彼にとって、目の前にいる彼女の存在などたいした意味のない――興味の対象ではないようで。
 ふわ、と。
 彼女の口が動く。
 ゆっくりとだが、確実に。
 言葉は音にはならず。なれど、声ではある。
 刀護をからめ捕るようにまとわりつく。包み込むかのごとく。
 ぞわりと背中を這い上がる不快感と思わず眉根を寄せる嫌悪感に、彼は舌打ちした。
 彼女の撒く“呪い”だ。
 持っていた刀を蠅でも追い払うかのように動かし、霧散させる。
 無造作に。いとも簡単に。
「あのさぁ、そうゆうの面倒。うっとおしい」
 いい加減にしろ、と暗に言うと彼女はきゅと目つきを鋭くした。ねっとりと誘うかのように巻きつく彼女の“呪い”を、刀護はいとも簡単に斬って捨てる。
「俺にあんたの過去は必要ない」
 浮かんだ女は彼女自身。彼女に何が起こり何があって何をしてどうしてこうなったのか。彼女の泣き叫ぶ声こそが、“呪い”となる。
 だが、刀護にはただの声。
 演目のように流される物語は眠くならない方がおかしいだろ、と刀護は一蹴する。自分にはその手のものは効かない。
 同情でも引こうというのか哀れだと思われようとしているのか。
 どのみち、刀護には迷惑この上ない。
 そんな自分の過去の悲観に酔ってる間にできることあるだろ、とにべもなく。
 過去など過ぎ去ってしまったことで意味などない。
「つか、他人の過去を背負える程人間出来てねぇから」
 自分の過去すら満足に昇華していないのに他人のまで無理な話だ。
「あんたの無念なんて知らねーよ。わかんねぇ」
 過去に何があったのか、彼女がどうしてこうなったのか、おおよそのことは分かった。だが、それがどうしたというのか。そうか辛かったのか大変だったのか、それならば仕方がないとでも言えば良いのか。
 ただの同情じゃねぇか、と刀護は吐き捨てる。
 くだらないことに駆り出されたものだ、と。
 捨てられ一人で生きることを余儀なくされ、裏切られ貶められやっとみつけた小さな幸せすら壊され辱められ長く続く苦痛の中で生かされ……どうにか自らの死をもって苦痛から解かれたとしても。
 彼女はまだ、ここから逃れられずにもがいて怨念だけを残している。
 呪うことで過去を塗り替えようとしている。
 だがそれは、まっとうな道ではない。
 自分と同じように苦しめばいい。どん底をはいつくばり死ぬほどの苦痛を味わえばいい。そうして笑ってやればよかったのだ。どこまでも堕ちつくし全てを暗く閉じるくらいに。
 それでも彼女の中に僅かに残る理性のかけらが、彼女自身を開放できていない。
 その為に、彼女は呪いながらも苦痛を得るのだ。“呪い”は、彼女自身をも取り込んでしまっている。
 刀護にはそういう葛藤が、意味がないものとしか思えない。
 だから、彼は笑う。笑って、告げる。
「苦しいなら救ってやる。――つっても、救いじゃねぇが」
 右腕に力が入り、刀を握りなおす。だらりと下がっていたままの腕が水平に上がりきらりと切っ先が光った。
「全て斬り裂いて粉々にして、目に見えないくらい細かくして何もかもなくしてやるよ。塵一つ残さず、完璧に消してやる」
 どうだ、と刀護はひたりと瞳を彼女に向ける。
「悪い取引じゃねぇだろ」
 刀の錆となって消えろ、と彼は言う。彼女の過去も今も全てを消去してやると。
 やっと刀を構えた刀護は、空気を震わす彼女の言葉におもしろくなさそうに顔をしかめた。
「俺が何を手に入れるかって?」
 彼女を消去する見返りに、と。
 得も何もないだろうにそうすることの理由を問われ、刀護は相変わらず面倒なこと考えるなと思った。そんなことを聞いてどうするというのか。
 はん、と彼は鼻を鳴らす。
「――さあな。悲しみか痛みか憎悪かわかんねぇ」
 取引としちゃ最低だな、と一人ごちる。実際得をすることなど何もない。意味もない。だた彼の手の中にあるのがその為の刀だというだけだ。
「この刀の導くまま、俺はある」
 それだけだ、と。
 右手で握る刀に、左手を添える。ゆら、と刃が熱を持つ。
「逃げやしねーよ。逃げられやしないんだ。刃に魅入られたが最期、奴の思うがままに……生かされる」
 ゆら、ゆら、と刃が熱くなってゆく。
 忌々しい、と刀護は唇を噛む。
 彼女は悲鳴を上げる。声を限りにぶつけてくる。消滅させられることへの恐怖と、安らぎとは程遠い苦痛と、何より刀を恐れて。
「ごちゃごちゃうるせぇよ。お前が招いた結果だろ。逃げられんだったら俺だってそうしたいぜ」
 勘弁してくれよ、と。
 刀護は彼女へと照準を合わせた。
 この距離で、討ちもらすことは、ない。
「こいつは終わりを導く刃だ。終わらせることができる。全部」
 すべてを。
 存在そのものを。
 一切を。
 熱を帯びた刀はいつしか刀護をも包むかのように赤く光り始める。紅蓮の朱(あか)。
「全てと引き換えに……安息を望みなっ」
 歯切れよく命令口調で叫ぶと、刀護は躊躇なく刃を振り下ろした。

 

 風を斬る音。
 空気を真っ二つにする音。
 たったのひと振りで、彼女の姿はかき消えた。
 勢いの余った風が刀護の脇を通り過ぎる。
 着物が翻り、短い髪が踊るように舞い、やがて落ちた。
 砕けたのは、残骸。
 その残骸すらも風に乗って静かに散ってゆく。
 瞬きひとつの間に、見えなくなった。
 刀護は刀をぶん、と一閃させてから鞘へと刃を収めた。カチ、と音がしてからやっと彼はたまっていた気を吐き出した。
「……」
 頬に手をやらなくても、わかる。
 左目から零れおちてくるものが、何かなど。
 流れ出た涙が一筋頬を伝った。
「はー、ったく、なんだよコレ」
 いつものことだが、慣れることはない。勝手に出てくる涙に心などない筈。悲しくもないのに斬れば左目から涙は出る。当たり前すぎて、もう、拭うこともしない。
 気が抜けたように座り込み、刀護は大きな欠伸をした。
 ――涙など、欠伸をしたって出るものを。
 とんとん、と刀で軽く地面を叩く。
「……お疲れ~、俺」

 

(初出:2009.8.13)