加糖ミルクティ

 雑誌の立ち読みは、お断り。
「……何の用?」
「オカイモノですヨ」
 三十分近くも読んでた雑誌をやっとラックに置いたと思ったら、缶コーヒー(ホット)を恭しく差し出しやがった彼は、悪ぶれることなく無邪気にそう言った。
 依沙(いさ)はハンディを持ったまま思い切り、これ以上ないくらい深く、ため息をついた。
「何ソレ、ちょっと感じ悪いっしょ」
 バーコードを読み取ったレジの液晶をひょいと覗き込みながら、彼は唇をとらがせる。
「サイゾー」
「うん?」
 呆れたように呼ばれ、彼、宰蔵(さいぞう)は律儀に返事をした。依沙が読み上げた金額を、きっちり百円玉一枚と十円玉二枚で払う。彼女はさっさと小銭をレジに放り込み、慣れた手つきで店名入りシールを缶に貼り付けた。
 駅前。コンビニ。午後9時48分。依沙は学校終了後、ここで週に4日働いている。駅前とあって顔見知りの生徒も来る。なんだかんだでいつも忙しい。
 今夜は少々客が少なかったが。宰蔵の他に、今はいない。もう一人のバイトは事務室で煙草を吸っていて出てくるつもりはないらしい。確かに依沙一人で事足りるが。
 缶コーヒーを渡されても、宰蔵はレジ前から動かない。ったく、と依沙が舌打ちした。
「十五分、待てる?」
「楽勝」
 聞くと、元気な宰蔵の声が返ってきた。
「ん。じゃあどきな」
 右手でヒラヒラと依沙がやると、彼は缶コーヒーを振ってみせた。ようやく、レジ前から動く。振り返りもせずに扉を開けて出て行くのを、依沙はなんとなく見送ってしまってから。置いていかれたレシートを、レジ横の箱に入れた。
 今日のシフトは十時まで。この時間は大してやることもないから、ほぼ時間通りに上がれるだろう。夜勤の人に引継ぎだけすればいい。
 店内に客はいない。少し迷った後、依沙はホットドリンクの補充をすることにした。だらだらとやっていれば、そのうち時間になるだろう。

 

 駐車場の隅、店内の明かりもあまり届かないような所に宰蔵はいた。コンクリートの低い壁に腰掛けて。
 依沙に気づくと、やる気なさそうに片手を上げた。
「おつかれー」
 労いの言葉に、依沙は「はいはい」と投げやりに返事をする。それから、彼の隣に同じように座り込んだ。
 依沙と宰蔵は、幼馴染だ。家が近所だったこともあって、小さい頃からよく遊んだ。気も合い、互いに楽な相手なので高校生になった今でもこうやって一緒にいることが多い。
「で。今日は相手にしてくれる女の子がいなかったとか?」
 聞くのもメンドクサイ、という態度で依沙が聞くと、宰蔵は「まあな」と笑った。
「臨時休業ってヤツ? 俺のムスコがもたないのさ~」
「……」
 はあ、と依沙は大仰にため息をついた。バカは死んでも治らないというが、本当だよなーなどと一人ごちる。
 彼女の隣の十時(ととき)宰蔵は、美形だ。とはいえ美的センスは誰しも違うものだから何ともいえないものだが、ごく一般的に見て彼の容姿は所謂、面食いの女共を一瞬にして黙らせてしまえるようなそういうものだ。まあ、依沙も男は顔が良いほうがいいに決っているから、宰蔵の容姿がいいことは認めている。
が。
 宰蔵は自分のことを解かっているのか知らないのか、寄ってくる女共を邪険にすることは一切ない。「来るもの拒まず」ってやつだ。どこかへ一緒に行こうといえばついていくし、好きになってくれと言われれば好きになる。
 要は、バカなのだ。
 ともかく、依沙にしてみれば宰蔵はバカ以外の何者でもない。
 あっちへフラフラこっちへフラフラで、実体があるのに妙にふわふわしている。つかみ所がなく、故に敵も味方もない。
 女を食い散らかしているだけだと依沙は思うが、他の女の意見は違う。無邪気で可愛いのだと言ってのける。
 ――どこが「無邪気」で「可愛い」のよ……と、依沙は毒づくのだが。
 こんなだから同性からは蛇蝎のごとく嫌われるだろうと思いきや、そうでもない。彼は誰に対しても態度が全く変わらないのだ。女だろうと男だろうと、同じように接する。
 ――ただ、一人を除いては。
 依沙は宰蔵の腕で鈍く光るものに、目ざとく気づいた。
「こんなバングルしてたっけ」
 袖から見えるシンプルなシルバー。宰蔵はこの上なく、嬉しそうに、笑った。
「大智(だいち)がくれた」
「……ああ」
 成る程、と依沙は塀に両手をついた。
 綺麗な顔を物凄く綺麗な笑みの形にして。宰蔵は幸せそうに腕のバングルに触れる。何も知らない人が見たら、この艶っぽい顔に騙されるんだろうな、などと依沙は思ってから。
「あんたって、ホント、クリス好きだよね」
「うん」
 無垢で汚れない天使のように目を細めて静かにやわらかくゆるやかに、宰蔵は笑みを浮かべている。幸せそうな、顔で。
 クリス。栗栖(くりす)大智もまた、依沙と宰蔵の幼馴染。暴走しがちの依沙と、ふにゃふにゃの宰蔵の手綱を上手く取っている器用な男だ。小さな頃から責任感が強く、頼れる兄のような存在で。高校生になった今も、嫌な顔ひとつせずに二人に手をさしのべる。
 宰蔵は大智と呼び、流石に依沙は名前で呼ぶことに抵抗を覚えたのか、苗字からクリス、と呼ぶ。
「大智は俺の王子サマだからなー」
「――痛ッ。それ、サムすぎ」
 すりすりとバングルに頬擦りしながらうっとり言う宰蔵から、依沙は身を離す。
「マジ、ですヨ?」
 きょとんと宰蔵が小首をかしげるので、依沙は思いっきり顔を歪めた。彼女はそこそこ整った顔立ちをしているが、これはないだろう、という程崩れたものだった。
「うわぁー。なにそれ、ええと、ホモ、とかそーゆーやつ?」
 ヤだなぁ、近づきたくないなーと依沙は容赦なく続けた。対して宰蔵は飄々としたものだ。真っ向から同性愛者なんじゃないのと言われたところで、何処吹く風で。
「んん? そゆのとは違うっしょ。もっとこう、精神の深いトコのものだけどねー」
 余計ヤバイんじゃないの、と依沙は更に宰蔵から遠ざかる。件の宰蔵はというと、わずかばかり目を細めたまま宙を見ている。大智の幻影でも勝手に作り上げているのか。夢見る少女のようだ。
 鳥肌の立ちそうな依沙に、宰蔵はやっと視線を移した。お綺麗な顔の、口が開く。
「大智とエッチしたいとか思わんしね」
「――あたしに、どう返せと?」
 奇妙な沈黙。
 依沙は、一応解かってはいる。宰蔵が大智に求めるものは、カタチだけのものじゃなくて。もっともっと、深くて暗くて儚いもの。宰蔵は大智が好きだと言う。大地も宰蔵を好きだと言うだろう。だが、その意味合いは違うのだ。
 大智は、気づかないだろうが。
 だから、大智は宰蔵にとってのかけがえのないものなのだ。
 彼にとって、譲れないものになる。何よりも優先すべきものになる。トクベツ、なのだ。
 宰蔵は手をのばして。離れた依沙に体ごと近づいた。彼女は一瞬迷ったが、面倒なのでそのままでいることにした。彼はのばした手を、依沙の髪の毛の上に置いた。
 ぽんぽん、と。軽く撫でる。
「……どうしろって?」
「聞いててくれればいいヨ」
 実はあまり頭を撫でられるのは、好きじゃない。でもまあいいか、と依沙はされるがままにした。何だか宰蔵に頭から押さえつけられているようで、ちょっと……いやかなり気分はよくないのだが。
「今日はさ、まー見事にすっぽかされちゃってさぁ」
「ふん。珍しい」
 女が宰蔵をすっぽかすとなると、相当のことだろう。
まあ、大方ダシにでも使われたんだろうね、と依沙は勝手に思う。当て馬にするのには格好の男なのだ、十時宰蔵というのは。
「で。何であたしんとこに来たのよ」
「話、聞いてくれそうだからー」
 満面の笑みで宰蔵が宣言する。依沙は脱力する。わざわざバイト先まで来て、話を聞くまでレジから動かない腹積もりだったのだ、この男は。平気でそういうことをする奴なのだ。
 甘い、と我ながら依沙は思う。
「忙しいから、帰るよ」
「うん。いいよー」
 立ち上がると、宰蔵は依沙の頭から手を離した。見上げる顔には、特に何もない。いつも通りだ。依沙が行こうとするのに、追う気もなさそうで。
 一歩、踏み出そうとした依沙は。
「――はあ、ったく!」
 息を吐き出して、右手で額を覆った。
 全く、いつもこれだ。敵わない。
 びし、と。依沙は宰蔵に人差し指をつきつけた。「E.T?」と彼が自分の人差し指をくっつけようとするのを払いのけて。
「ミルクティ、奢って。缶でいいから」
「アイアイサー」
 ぴょこんと宰蔵が立ち上がった。結構背の高い彼は、長い足で真っ直ぐコンビニ脇の自動販売機へと向かう。ポケットにあった小銭を投入して、迷うことなくミルクティのボタンを押した。ガコン、と缶が落ちる音がして。宰蔵は身をかがめて、取り出し口に手を突っ込む。
 依沙は、そんな彼の後姿を見ながら。
 ため息すらつけなくなってしまって。
 宰蔵は、昔からこうだ。いい加減だが、自分が決めたことには頑固で。別にいいよ、と言われても仕方がないなと付き合ってくれる、依沙のことをちゃんと知っている。だから、さっき引きとめもしなかった。
 自分の性格も理解した上で、依沙は我ながら甘いなと思う。
「ほい、ミルクティ」
「どーも」
 渡されたミルクティは、きちんとプルタブが押し開けてあった。一口依沙が飲むと、妙にドロドロしたおどろおどろしい奇妙な音楽が流れた。
「……」
「んー、メール」
 何とかならんのかよ、その着メロは。と依沙は思ったが口にしなかった。
 ごそごそと、宰蔵が携帯電話を取り出す。片手で開いて、ディスプレイを確認。
「!」
 その顔で、誰からか依沙にはすぐに解かった。
 はじけるような笑顔。ご主人様を見つけた犬のような。
 聞くまでもない。
 大智だ。
「嬉しそうねー」
「最っ高に」
「ああそう」
 よかったね、と投げやりに依沙は言った。
「何でサイゾーってクリスが好きなの」
 ずっと、聞きたいと思っていた。幼馴染で、小さい頃から知っていて。でも、こんな風に大智のことを公然と「ラブ、王子サマ」と言う宰蔵が不思議だったのだ。
 宰蔵は、少しだけ黙って。数秒してから、やっと口を開いた。
「じゃあさ、魔法が使えたとするとー」
「……随分唐突ね」
「依沙は、何したい?」
「は?」
 突然ふられた質問の意味が理解できず、依沙は眉根を寄せた。宰蔵はにこりともせず、依沙をじっと見ている。
「あたしが何したいかって、こと?」
「そ」
 ボケるような雰囲気ではなかったから、依沙は頭をフル回転させて考える。魔法が使えるとして、使えないけど、無理矢理使えると設定する。何をしたいのか。頭の中でやりたいことを思い浮かべる。色々浮かべるが、答えに値するものは特にない。お金持ちになりたいとか、そんな想像力の貧困なことだけで。
 妙に疲れてしまって、依沙は真顔で言った。
「漠然としすぎてて何も思い浮かばない」
「そんな感じかなー」
「はあ?」
 にこりと、宰蔵が笑った。困惑する依沙など、置いてけぼりだ。
「俺が大智好きなの、そうゆう漠然としたものなわけ」
「ああ」
 そういうことか、と依沙は納得する。回りくどいことをされたような気がするが。
「小さい頃からさー、全然気持ちは変わんないんだよ」
 転げまわって駆けずり回ってた日々。何も知らずにただ、その日が楽しければそれでよかった。世界はクリアで明るくて、無知故に幸せだった。
「子供ん時みたいに、佐紅(さく)ちゃんもいれて四人で遊びたいよねー」
 ほわほわと、宰蔵は理想を語る。
 そうだ。
 理想だ。
 依沙には、充分すぎる程解かっている。
 ミルクティが、生ぬるくなってくる。早く飲まなくちゃ、と思うけど。なんだか手を動かしたくなかった。
「無理だよ、そんなの。皆それぞれの生活とかあって、誰だって変わるじゃない」
 そういうものだ。同じものなんて何ひとつとしてない。めまぐるしく変わる中で生きていくのだ。誰もが、例外なく。
 宰蔵は、それでも、と空を見上げるのだ。
「んーでもさ、変わんないモノもある、だろ」
「誰もがサイゾーじゃないんだよ」
 する、と出てきた自分の言葉に。依沙が一番驚いた。
 宰蔵は空から目を離さず、
「そか」
と、言った。

 

「拠り所なんて、何でもいいんだよ」

 

 今日は帰るという宰蔵と依沙は別れた。
「なんなら依沙、俺のお相手してくれる?」
「じょーだん。お断り」
「俺、処女にも優しくするよー」
「!! 蹴るよっ」
「って言いながら、蹴るのが依沙……ってね」
 渾身の依沙の回し蹴りを、後ろにさっと飛んで何なくクリアする宰蔵。怒鳴る依沙からさっさと離れて、「じゃーねー」と手を振った。
「……ムカつく」
 こういう日は、さっさと帰るに限る。
 依沙はさっき飲んだミルクティの甘さに、心持ち顔をしかめた。

 

(初出:2008頃?)