雨が降ったら

「依沙(いさ)にとってさ、雨ってなに?」
「――はぁ?」
 俺昨日ケータイの機種変したんだけど、どう? とか言っていた宰蔵(さいぞう)が突然切り出した話についていくことができず、依沙は思い切り顔をしかめた。何故にこいつはこう脈絡のない話し方をするんだろ、と思うがいつものことで。これこそ彼女の知る彼そのもので。
「雨って……雨は雨でしょ」
「うん」
 当たり前でしょ、と依沙が言うのに宰蔵はにこにこ笑うだけで。特に答えを気にしていないのか言っただけで意味がないのか。どちらにせよそうたいした問題ではないだろう、と依沙は思う。思いつきで言ってみるだけ、というのが多いのだ。宰蔵という奴は。
「なんかさ、答え必要?」
「あったら必要」
「特にないけど」
「そか」
 じゃあいいや、と宰蔵は何度も頷いた。見ようによっては、軽くリズムを取っているようだ。心なしか歩き方も軽い。そのうち鼻歌でも聞こえてきそうだった。
「雨ねぇ」
 溜息混じりに依沙が呟いた。空は快晴。天気予報は晴れ。雨が降る気配などなく。
 依沙は隣をふわりふわりと歩く宰蔵へと目を向ける。
 解っている。
 呼べば、応える。
 ひとこと、名前を呼べばどうしたんだよとか言って笑うだろう。
 幼馴染だとか。腐れ縁だとか。親友だとか戦友だとか。“くくり”にしてしまうのは簡単で。多分依沙は、それに甘えている。そんな自分にも気が付いている。
 でも。
 だって。

 ――仕方がないじゃないか。

 こんなに心地よい場所を、依沙はもうひとつしか、知らないのだから。
 横を行く宰蔵が気付いたのか、こつんと依沙の頭を小突いた。お返しに、彼女は彼の脇腹を軽くどつく。アイタタタ、と宰蔵が大仰に身を屈めるので、更に背中を叩いた。
「イタイ~依沙ちゃんてば、ランボー」
「っるさい」
「愛情表現?」
「……今日も頭が春だね」
「ん。それは良く言われるかな」
「褒めてないし」
「知ってる」
 片目を瞑って宰蔵が面白そうに笑う。遊んでるよね私で、と思うと腹が立つから自分が相手をしてやったのだと思うことにした。
 少しだけ考えて。
 依沙は口を開く。
「サイゾー」
「うん? 何?」
 きょとんと、宰蔵が依沙を見る。笑いはだいぶ治まったのか感じの悪い顔ではなかった。

「雨」
「あ?」
「サイゾーにとって雨って、何?」
 同じ質問を返すと、宰蔵はす、と真顔に戻った。いつも笑っていることが多いのでこんなに表情の抜け落ちた顔を見るのは久しぶりな気がした。何マジな顔してんの、と言いかけた依沙は言葉を止めた。本能だ。
「!」
 ぎゅ、と。依沙の腕が宰蔵に握られる。突拍子もない行動はいつも通りだけれど。僅かに俯いた顔はいつも通りではなく。依沙はどうしたのと聞こうとした言葉を飲み込んだ。離してと振り払うのも忘れて。
「……」
 宰蔵の、唇が、動く。
「雨は……恐怖」
「は?」
 小さな声に思わず聞き返しそうになり。依沙は顔を上げた宰蔵と視線が合った。ふ、と彼は力なく……ほほ笑んだ。
「俺にとってさ、雨は恐怖ってやつさ」
 言ってから、宰蔵は依沙の腕を離した。一瞬だけの、あの、彼を。依沙は気のせいだったのかと思った。だが、ぎこちなく空を見上げる宰蔵は、確かにあって。間違いでも思い違いでもなく。
 あれは、誰だった……?
 雨なんて、降る気配もないのに。
「サイゾー」
 呼ぶと、宰蔵は振り返る。これは、絶対。
 とらえどころのない笑みは変わらない。綺麗な顔で綺麗に笑う。綺麗、すぎる。
「どした依沙? どっか寄ってっか?」
 既に先ほどの余韻すらなかった。いつもと変わらない見慣れた彼。別人のようだった彼は既に隠れてしまっていたけれど。
「雨降ってきたら、傘持ってサイゾーんとこまで行ってあげるよ」
 勝手に言葉が出た。
 言葉になってしまった。
 宰蔵は。「傘」と小首をかしげて。やがて。嬉しそうに眼を細めた。
「やべぇ。何ソレ。俺、すっげ依沙のこと好きすぎる」
「あー、はいはい」
「ハグっていい? ついでにキスしちゃってもいい?」
「絶っ対、嫌」
「んじゃ、傘買っといてよ」
 突然立ち止まり、宰蔵が依沙を覗き込む。間近に顔が迫ってくるのを依沙は両手で押しやる。宰蔵に背中を向けると、依沙は脱力しながら言った。
「傘なら買っとくから」

 

(初出:2009頃?)