感覚を殺した先の衆生

 この世界には、“知らなくてもよいこと”がある。
 だから、“聞かなくてもよいこと”もある。

 

 逃げ出そうとした足に斬りつける。とりあえず、足止めが肝心だ。逃げられてしまっては元も子もない。右足だけでは心もとないから、左足も斬っておこう。
 上げられた悲鳴が五月蠅くて思わず顔をしかめた。
 ああ、もう。面倒だな。
 何故だとかどうしてお前がとかこんなことをしてどうするつもりだとか。終いには、何でもするから命だけは助けてくれだとか。
 どうでもいいけれど、面倒臭い。
 そんなこと、私に聞かないで欲しい。
 いつまでもごちゃごちゃ煩いので、私はさっさと刀を突き刺す。ぐえ、と気持ちの悪い声がした。あーまた、刀、汚れた。
 仕方がなく、相手の肩を足で押しながら刀を引き抜く。血がついたし。
 とりあえず。
 誰かが来る前に。(勝手にこいつが人払いしてくれたんだし)
 さっさと逃げることにしようそうしよう。
 適当に刃の血を拭って(ああもう早く手入れがしたい)鞘に収める。
「遂行完了」

 

「おっ疲れ~」
「……」
 畳の上にごろりと横になっていたら、ひょいと覗かれた。
「髪、切れば」
「ええ~ヤダ」
 ずるずる長い髪を片手で弄ぶようにしながら、ミコトは猫のように目を細めた。その髪を払いのけるように、私は体を起こす。
 ミコトはひょい、と私の前に腰を下ろした。
 長くてやわらかそうな髪がゆらと動く。きれいな顔。華奢な体。纏った着物は薄い桃色、花柄。帯代わりに縛っている布は紅。間延びした喋り方に大きな瞳。どこからどう見ても乙女にしか見えない。
「アタシが髪切るなんてそーとーのことだし、つか、ないし」
「あ、そ」
 いつものことながら、ミコトと話すのは疲れる。緊張感が全く違うのだ。“合わない”とは解っていても、お互いに其れが解っていても、私達はそういうもの一切を“ないもの”としている。
 それが、私達の生き方。
「ねえねえ、ヤヒロ。ヒロちゃん」
「……」
 ちゃん付けはやめてと言ったところで聞かないだろう。単純に「ヤヒロ」と読んだ方が早いと思うのだが。
「どーだった? 今回の。“おもしろかった”?」
 嬉しそうに聞いてくるミコトは、確かに悪趣味だと思う。私に聞きたいのは、其れか。
「いつも通り」
 そっけなく答えれば、ミコトは「え~なんだぁ」と残念そうに口をとがらせた。そもそも、聞き方が悪い。「面白かったか」と聞かれて「面白かった」と答えるのはミコトくらいだろう。
「ん~じゃあアタシが行かなくって正解? ま、次の機会があるかなぁ」
 独り言にしておこう。付き合うだけ時間の無駄だ。
 ふ、と右手。広げて見ればいつもと同じ。変わりなく。“だから”ぞっとする。変わらない。変わったりなんかしない。いつも通りそのままおんなじ。
「ヤヒロ」
 右手を、ミコトが両手で包むようにして握る。
「血は、気持ちよかった?」
「……性的倒錯」
「ふっふ~其れ、ホ・メ・コ・ト・バ」
 冗談じゃない。一緒にしないで欲しい。
「私はミコトみたいに、ゆったり斬って手足をもいでくようなやり方はご免なの」
「お楽しみはすぐ終わらないようにするべきじゃない?」
「さっさと終わらせる方が効率が良い」
「あ、ヒロちゃんぽい」
 ミコトは片目を瞑ってみせた。
 私達は、暗殺機械だ。
 殺せと言われた人を、殺す。
 失敗したら、自分が殺される。
 ただ、それだけの。単純な規則。
 誰を殺すだとか誰を消すだとかそういうことは一切聞かない。それは“知らなくてもよいこと”だ。私達はただ、言われた通りに殺せばいい。それで終わる。それだけで終わる。単純で簡単な行為。
 尤も、ミコトは其処に楽しみまでも盛り込んでいるが。
 最初は心を殺すのは難しくて気持ち悪くて吐いてばかりいたけれど。いつしか慣れた。感触も感覚も感情も、鈍くできるものなのだと解った。
 命のやり取りは、差し迫る危機と共に興奮を覚えた。
 口ではミコトをどうだとは言え、私も所詮は一緒なんだろう。いつの間にか、死体を見ても何も思わなくなってしまった。骸がひとつ、というだけだ。
 この世界が当たり前になれば、此れが普通になる。
 それだけのことだ。
「ヒロちゃん、お風呂入ろ~」
「いや、一人で入るし」
「えっえ~一緒に入ろうよ。背中流すよぉ」
 今にも手を掴んで走りだしそうなミコトを、私は制した。
 ったく。
「お前は、男だろうがっ」

 危うくミコトと同類になる所だった。アレは女みたいに清楚そうに見えるし綺麗だが、れっきとした男だ。着物を脱ぐまでは絶対に分からない。分からないようにミコトはしている。一度聞いてみたら「趣味~てか、便利よぉ」ということなので、実益を確実に兼ねている。確かにあの性格ならば、たらしこむのもお手の物だろう。
 あれはあれで有能なのだから。
 必要なのは人格とか見目じゃない。能力。自分の持つものをどう使うかなどは人それぞれ。ただ、確実に任務を遂行するだけの実力があればいいだけの話。
 能力さえあれば生きられる。能力がなければ生きられない。
 この世界は簡潔で心地よいくらいだ。
 一緒に入ると言って聞かないミコトを殴りつけ、足止めをし、私は一人湯船につかる。たまの風呂は気持ち良い。無防備な状態だから、あまり長くは入っていられないが。
 刀は手の届く範囲に置いている。暗器になる簪をしているから、どうにかはなるだろう。いつの間にか、ゆっくり眠るというのもできなくなってしまった。
 髪の簪に触れる。これは、ヤエがくれた。一週間前、私が出る時に自分のをあげるからお土産に買ってきてとか言われたやつだ。お土産って何だよと思ったけれど、ちゃんと手に入れてはきた。仕事が終わった後、久しぶりに店にまで行って。ヤエは私とは違う使命を受けて出て行ったが、そろそろ戻って来る頃だ。
 ミコトに見つからないようにしよう。彼に見つかると自分も欲しいと五月蠅いから。
「ヤヒロぉ~!」
「!」
 突然、私の視界に桃色が舞う。勝手に右手が簪を引き抜いていた。そのまま、相手の首元に突き付ける。
「っと。ヤダ~怖い」
「ミコト」
 怖い、と言いつつもミコトは指先で突き付けた簪をそっとどかしている。ヒロちゃんてば野蛮、と笑いながら。人の風呂に無断で入ってくるのは野蛮ではないのか。私に殴られた跡が頬にうっすらとあって、気にしていないのかミコトはすぅと目を細めた。
 快活さがなくなる。猫のようなしなやかさに、ぴんとした緊張が加わる。
 仕事、の顔だ。
「ヤヒロ。ヤエが死んだ」
「……」
 そう、と私は頷く。ミコトは何の感情もこもらない声で言った。私も顔色ひとつ変えない。
 よくあること、だ。
 能力があれば生きられる。能力がなければ死ぬ。簡単なことだ。
 持っていた簪を適当に髪にさし、私は風呂を上がる。体を拭いて着物を身につける間、ミコトは何も言わなかった。
 ヤエは、私の仲間、だ。
 こういう時は、どうしたら良いんだろう。そういうことは一切教えてもらえなかった。
「んー、ヤエがしくじった分、誰かに行くね。アタシんとこ来ないかなぁ」
 いつも通りの口調でミコトが言葉を紡ぐ。一度失敗した以上、二度目は難しくなるだろう。でも、その為に私達はある。使い捨てられる為に。捨てられない為には、生きていく為には、死なないようにするしかない。
「……ヤエ」
 どこで、とか、誰が、とかそういうことは関係ない。それは“聞かなくてもよいこと”だから。
 心の中はいつでも空っぽにしておくべきで。動揺すればそれだけ死が近くなる。殺すのは人だけではなくて、心もだ。他人を憐れんでも自分は救われない。生き続ける為には、この手でありとあらゆる手段を使ってでも死を免れてゆくしかない。
 もう、ヤエには会えないのか。
 思わず、頭の簪に手をやる。これが“形見”というものなんだろうか。
 ヤエが死んでも……たとえ誰かが死んだとしても。私は暗殺機械として生きる為に殺すんだろう。死なない為に。生きる為に。きっと、ミコトも。
 ああ、そうだ。ヤエに渡そうとしていた“お土産”の簪はどうしようか。私にはヤエにもらったやつがあるから。
「ミコト」
「ん? 何かな」
 ふわふわとした笑顔に、私もつられてほほ笑む。
「簪、あげる」

 

 この世界には、“知らなくてもよいこと”がある。
 そして、“聞かなくてもよいこと”もある。
 私の世界は、そんな風にできている。

 

(初出:2010.9.2)