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欠けた全てを捨てる日

感じるままにあれと君は言うけれど
それほどまで何かを感じることなどないのだとしたら
僕は何か欠落したままあるのかもしれない

あざとい女は陳腐だけれど心地が良くて
本意を隠した女は気持ちが良いが冷たい

凍えた心を抱きしめ走ったところで
どうせ君にはたどり着けないんだろ
だったらもう僕は僕を捨ててしまえよ
形のない愛などリップサービスにもなりはしない

感じるままにあれと僕は信じたけれど
それほどまで何かを思い悩むこともないのだとしたら
君は全てを持ち去ってしまったのかもしれない

 

(初出:2018.3.30)

終わる世界に残る澱。

それを愛とか情とかいうには、私たちは幼すぎた。
お互いさえあればいいと思ってしまったのは、世界が狭すぎた故だろう。
小さな小さな箱庭で一緒にいられればそれでよかった。

私は君で、君は私で。
手をつなげば二人の心は重なり、全ては二人のものだった。
傲慢な小宇宙は広がることを拒み、底なしのブラックホールのようだった。

世界を手に入れたのだと!

この世界は何者をも拒絶する!

私と君だけだ君と私だけだ!

歪みは不可視の崩壊となって降りかかってくるとも知らずに。
それでも私と君は多分、幸せだったのだろう。
大人の思惑で完膚なきまでに打ち壊された世界に放り出されたとしても。
何も知らず無知で無垢で無慈悲な私と君は、二人ではなくなってしまったけれど。

それでも君は私に手を振ってくれた。
楽しかったよ、と真っすぐに私を見て。

なくしてしまった世界は終わり、無意味な日々が始まるのだとしても。
私は、君といたあの世界を決して忘れることはないだろう。

そんな紙一重

お疲れさまと縋る手がむしょうに気持ちが悪かった
お前が求めているのは私じゃないだろ
いつまで私を身代わりにすれば気が済むの
聞いたこともない猫なで声で私を呼び
慣れない手つきで私を抱く
帰って来てくれると信じていた、なんて大嘘をつき
お前がいないとダメなんだよ、とわけのわからないことを呟く
うんざりする私などお構いなしに
きらきらこぼれる偽りの言葉たち
すり抜けて落ちて踏まれて見る影もない
お前の求めるものは解っているよ
私が私ではなく私らしくなく私としてではなく私を殺して
私ではない私がお前を抱けば満足なんだろう
お疲れさまお疲れさまお疲れさま
何度も言われて縋ってきて
どうか逃げないで捨てないで傍にいて一人にしないでいかないで
背筋を這い上がる嫌悪が私を蝕んでは
快感に変える

嗚呼あんなに好きだったのに

打ち捨てられた手足を拾い集め
何故このような事態になったのかを考えてみる
抱きしめた腕は切られてしまい
押しつけたキスはもぎ取られてしまった
朝から何も食べていなかったのに出る時は出るものなのね
嗚呼あんなに好きだったのに
拒絶される虚しさが一番堪えるというのは本当だったのね
思考も回路も上手く動かない
かき集めた私の体たち
どうしてもっと上手くやれなかったのかと悔んでも悔やみきれないわ
こんなになってしまったらもうどうしようもないじゃない
嗚呼あんなに好きだったのに

人喰らう紅

 暗さに沈んでいくのは心地が良い。

 どす黒く染まった空が、やけにきれいに見えた。雲の切れ間もなく真っ暗な夜はどこまでもやさしく包んでくれるようで、サヨリはほっと息をつく。強張った体が弛緩する瞬間が一番危ないのだと言ったのは、ヤヒロだったか。
 眠りにつく城下というものはこれ程までに無防備なものなのだろうか。耳を澄ませばどこかの辻斬りか悲鳴が聞こえる。天誅、と叫ぶ声も聞こえてくる。人斬りが横行する宵闇はあまり気持ちの良いものではないが、慣れてしまえばどうということもない。染みついた血の匂いが鼻孔をくすぐり、サヨリは鼻をすすった。
 辻を抜けるようにして走ると、胸元で跳ねるものがある。
 人気のない場所で立ち止まると、胸元からそれをそっと出す。
『たまには化粧のひとつもしたらどうじゃ』
 お前も女だろうに、と頭をはたかれながら押し付けられたのは紅だった。
『尤も、お前が紅などつけたら人でも喰らったかと思うがのう』
 血の色と同じじゃ、と彼の人はサヨリに笑った。その笑い方は彼女にとって見慣れたもので、いつも通りでなんの変哲もなく自然すぎてどうしてだか胸がしくしくと痛んだ。こんなことを思う自分に驚き、自己嫌悪にさいなまれた。
 人として、人間としてあるのはサヨリにとって幸いだった。まだ手放していない人らしさを失わずにすむのは恐怖と甘美の狭間であり、どっちつかずの曖昧さが彼女を苛立たせもした。
 それでも、“使える”うちは始末はされないのだから。

 

「ああ、お帰りサヨリ」
 にこりともせず、ヤヒロが出迎えた。
「ただいま」
 畳の上にごろりと横になり面白くもなさそうな顔でサヨリを見上げるミコトは、何も言わなかった。それはいつものことなので、サヨリも気にすることなく座り込む。す、と横からお茶が出てくる。ヤヒロは気が利くな、とサヨリはぼんやりと思った。暖かいお茶は少し冷えた体を温めるようにじんわりと広がっていった。
 三人いるところで、殊更話すこともなく。サヨリは静かに目を閉じた。
 ――討ってこい。
 命はそれだけだった。
 簡単かつ簡潔でそれ以上でもそれ以下でもなく。非常にわかりやすく丁寧だった。
「終わった?」
「……まだ」
「そう」
 短いやり取りの中に殺伐とした安堵があるかのように。
 目を開ければミコトがサヨリを見ていた。何もかも見透かすような彼の視線は少し苦手だな、と彼女はいつも思う。口が悪く素行も悪いが、彼はどこまでも正直で真っすぐで偽りがない。故に、ミコトの言葉は残酷で傷をえぐるように鋭い。辛辣で救いがない。
 そう、怖い、のかもしれない。
 漠然と湧き上がる感情にサヨリは苦笑した。
「どうやろうと勝手だけどさぁ。アタシだったらそんなまどろっこしいことしないしぃ~」
「よく言うよ。ミコトはいつも“遊びすぎ”でしょ」
 ミコトの軽口をぴしゃりとヤヒロが遮った。
「ヒロちゃんは効率重視だもんね」
「長引かせるのは面倒」
 サヨリは成程、と納得する。
 人によって“やり方”は様々だ。
 だが、今回に限ってはミコトが言うこともよくわかる。
 つまり、サヨリは時間をかけすぎているのだ。いつのならばするりと近づいて懐に入り込んだと思った時点で実行する。それを、ゆるゆると時間をかけにかけて近づいて多分、懐には入っているように思う。その状態のまま、未だ実行に及んでいないことをミコトは言っている。討てと命を受けたのならば、さっさと実行すればよいのだ、と。
 当たり前すぎて異論はない。その通りだと思う。
 それでも未だ手が出せないのは、心の奥底に燻るようにしてある“何か”のせいだ。
 サヨリはその“何か”を知らない。知ろうとは思わない。ただずっと己の内にあり煩わしいと感じるだけだ。気持ちなど意味がないもので、心など持ってしまえば足枷となる。感情を是とする程愚かしいものもない。肝心な刃が濁ってしまえば遂行はできないのだから。
 意味のないモノに成り下がっては、生きている意味はない。
 生きていく為には成さねばならない。何もせずに生きてゆける程、この世界はやさしくはない。引き換えにしてでも生きていくのは、生命の節理のように思えてならない。多分、それは、生きていることで得られる高揚感のようなものだろう。
 ため息をつきそうになり、サヨリは慌てて唇を引き結んだ。
 あれこれと考えたことで、詮無き事だ。
 決めるのは、サヨリではない。サヨリはただの刃で実行するためだけにある存在なのだから。
「ごちそうさま」
 お茶を飲みほした器をヤヒロに渡すと、サヨリは立ち上がった。少し、休もう。そうすればまた、きっと。
「サヨリ」
「ん?」
 ヤヒロの手がサヨリの腕を掴んでいた。
「情というのは、厄介なものだよ」
「!」
 ヤヒロの瞳に走ったなんともいえない鋭いものに、サヨリは舌打ちしそうになった。そのかわりに、腕を振り払う。力を入れてなかったヤヒロの手はいとも簡単に放れた。その行為こそがそうであることを認めているというのに。無様すぎて厭になる。
 踵を返そうとするサヨリの背中を、ヤヒロの言葉が追いかけた。
「あんたは、死なないで」
 うるさい。そう叫びそうになりながらもサヨリは立ち止まりもせず部屋を出た。
 ああいうヤヒロは、うっとおしい。大きなお世話だ。
 唇をぎゅっと噛むと、サヨリは頭を一度振った。
 ――あんたは。
 その意味は解りすぎる程解っている。
「私は、ヤエとは違う」
 討てず、討たれた女とは。あんな風には、ならない。
 あんな風には。

 

「僕は、この日本をより良い国にしたいと思うちょる」
 にこにこしながら彼の人はサヨリに夢を語った。
 国を? と、訳が分からず彼女は聞き返した。話が大きすぎて全く想像すらつかなかった。
「列強と肩を並べられるような、大きな国にしたいのう」
 列強、というのは他の国のことだろうか。例えば、えげれすとかいう。日本という国をサヨリはよく解っていなかったし、外国というのがどういう所なのかも知るはずもなかった。日本には将軍がいて、天皇がいて、というのは知識としてあっても日々の生活にそんなものは関係なかったし、今日を生き延びることの方がよほど重大なことであった。
 ぽかんとしているサヨリの頭をぽんぽんと軽く撫で、彼の人は破顔した。
「まあ、これも先生の受け売りじゃ」
 先生、という人をサヨリは知らなかった。命ぜられたのは、隣で楽しそうに笑っている男を討つことだけだ。それだけだった。
「日本は、」
 何か言わなくては、とサヨリは思った。話はよく解らなかったし、説明されても聞く気はなかった。
 けれど、それは彼の夢なのだから。彼が追い求めるものなのだから。
 する、と言葉は出てきた。彼女が驚く程に簡単に。
「日本は、良くなるの?」
 何が、ともどうやって、とも聞きようがなかった。そんな漠然とした問いかけに、彼の人は少しだけ考えるように顎に手をやる。
「良くするんじゃ、僕が」
 ややあってから、きっぱりとした返事があった。
 前を向く男の夢は、眩暈がする程輝いていた。

 

 小指に紅を付け、唇にひいた。
 鏡の中の自分が、無表情でこちらを見ている。化粧などしたことがなかった。見よう見まねで紅をさしたが、こんなものだろう。
 遂行は、今夜。
 懐に忍ばせた小刀と銃の感触を確かめる。聡い人だから感づかれるかもしれない。それでもサヨリがサヨリでいられる為にはやるしかない。
 足音を立てぬよう、そっと寝所へ入る。今日も一人きりだろう。暗闇の中、布団の枕元へと移動する。
「夜這いか」
「そんなところです」
 声が震えぬようにするのがやっとだった。と同時に、この人は全てを知っているのだと理解した。
「紅、きれいじゃ」
 この暗さでよくも気が付くものだとサヨリは呆れた。
「して、何用かのう」
 妙に間延びした質問に、サヨリは心から、笑った。
「人を、喰らいに」
「ほうか」
 至近距離だというのに彼は意に介していないのか、あろうことか目を瞑る。サヨリは力が入りすぎて痺れていた手をそっと、開いた。血がめぐる感覚が戻ってくる。
 噛み殺してやろうか。
 静謐な中、どちらともなく顔が近づき。
 唇が重なる。

 ――嗚呼、このまま二人で死にたい。

 叶わぬ願いを抱き、サヨリは小刀を突き刺した。

 

(初出:2015.9.18)

それは未遂というもの

 思わず携帯電話を投げ捨てそうになり、桐子は慌てて思いなおした。
 いや、投げつけたら壊れるでしょ確実に。一人ごちてため息をつく。
「はろ、桐子姫」
「ん~」
 誰もいなくなった放課後の教室。椅子に座りぺたりと机に突っ伏した桐子は、その覚えのある声に力なく答えた。
「あんた帰んないの、じゅーじ」
「帰ろうと思ったら、桐子姫みつけたからさ」
 じゅーじ、こと十時宰蔵(とときさいぞう)はふわふわ笑いながら桐子の前の席へと座る。
「ねえねえお姫様、王子様はどーしたの?」
「ちっ」
 全く邪気のない能天気かつ天然な聞かれ方に、桐子はキレそうになったのを舌打ちでどうにか打ち消す。今この状態で聞かれたくないことを的確についてくる、敵はさるもの、腹が立つ。
 知ってて“王子様”とか言う辺りが更に苛つかせる原因だ。
「ぶん投げたら壊れるよね、ケータイ」
「だよねーわかってるよーんなこと」
 棒読みで適当に桐子が言うと、宰蔵はだよねぇ、と頷く。
「で、カナを待ってんの」
「……うーわ、ヤな奴」
 本当に本当に嫌な奴ですよ、と桐子は重ねる。
「つか、知らないってあんな奴。メールしても電話しても忙しいって相手してくんないし」
 あまりにも相手にしてくれないのでキレそうになり、先ほど携帯電話を投げ捨ててやろうかと思った程だ。ふざけんなーいい加減にしろーって怒鳴ろうにも電話は繋がらず。
 ふてくされたまま、桐子は投げ捨てるように言う。
「加仲(かなか)さんはぁ、忙しくって私の相手なんてしてられないってさ」
 久しぶりに名字をちゃんと呼んだかもなぁ、と桐子は思う。彼女も宰蔵と同じように、カナと呼ぶのが定着してしまっている。一度“カナカナ”とふざけて呼んでみたら、見事にヤメロヤメないとキリキリって呼ぶぞと言われてしまったので、それ以降呼ぶのはやめた。
「そもそも、付き合ってくれって言ってきたのはそっちだっての。もー私って何なんだろ」
 一緒に帰ろうと思ったら既にいなくて。ごめん用事があるからって軽く言われて。それが今日だけならまだしも、かれこれ一週間近く続いているものだから。そんなに私と一緒にいるのが嫌なのかよ、と言いかけた言葉を飲み込んだ自分って大人。などとどうにか自分を騙くらかして、愚痴ろうとした友達には「ごめ~ん、この後カレシと会うからさぁ」とかさらりとお断りされた。
 はあ、とため息をまたひとつ。
 自分が何かしたのかな、とか。
 もしかしたら嫌われてしまったかもしれない、とか。
 あれこれ考えては不安になって。
「……でも、絶対泣かねぇ」
 自分は怒っているのだ。桐子さんは怒っているのだよ。
 悲しい、わけじゃ、ないのだ。
「って」
「ん」
 あれ、と桐子は目線を上にやる。
 頭の上には宰蔵の手があって。やさしくやさしく撫でられていて。
「何してんの」
「イイコイイコ~」
「私は子供かっ」
 思わず噛みつくが、宰蔵はどこ吹く風だ。
 そのあたたかな手は、麻薬のように桐子の心に入り込む。心地が良いので、困る。
「サンドバックは無理だけど、抱き枕にならなるよ~」
 頭の上から聞こえる声に桐子は眉根を寄せる。意味がよく解らない。
「どうでしょう、下僕などはいかがでしょうか、お嬢様」
 お姫様がお嬢様になっている。
「あんたさ、頭ワイてる?」
「はい、わいてます。更に、出血サービス中でございます」
「気持ち悪いんだけど、その丁寧語」
「おや、喜んでもらえたのなら幸いですね」
 ちらりと見れば、宰蔵は片目を瞑った。どう考えてもからかわれている。
 はああ、と三度のため息。しょうもない時間を過ごしたが、少しは気が紛れたので桐子は小さく笑ってみせた。
「桐子」
 ふ、と。
 桐子は頭を起こす。瞬きをすると、思ったより近い場所に宰蔵の顔があった。
「弱みに付け込むのは、卑怯だったり?」
 何故か、いつもよりも声が低い気がした。ああ、まだ遊びの延長なんだな、と桐子は勝手に思って。そう思うことにして、鼻で笑う。
「バカ。付け込む気なわけ?」
「気なわけ」
「は……」
 何考えてんのアホじゃない、と出かかった言葉はどうしてだか消えていった。
 宰蔵の手が桐子の頬に触れる。あったかいなー、とのんきに思う。何故か目が合うと、ふわと笑った。
「俺だったら、桐子を泣かせないのにな」
 いや、私泣いてないけど!? と反論しようとしてあ、マズイと思わず唇を噛んだ。瞬きをしたらダメだ。口を開いちゃダメだ。つん、とこみ上げるものを桐子は下すように指令を送る。脳へ指令、脳へ指令、泣いちゃいけません。泣かないとさっき決めた筈です。
 深呼吸をすると、宰蔵がまた桐子の頭を撫でた。どーしてこう反則技を使うかな、と彼女は心の中で叫ぶ。楽になれそうな気がして、本当に困る。
「桐子」
 いやさっきまで“桐子姫”って呼んでたじゃん。
 まてまて、“お嬢様”だったっけ。
 近づいてくる宰蔵の顔に、唇に、桐子はあれ、と思って。
 すがっちゃうのもアリかもね、とか勝手に考えてて。
 考えた、心は。

「……カナ」

 自分の口から出た言葉に、桐子は驚く。
 目の前にいるのは、宰蔵。にもかかわらず、彼女が求めるのは彼ではなく。

「ん~、カナならトマトとランデヴー」
 気が付くと桐子の目の前から宰蔵の顔が遠ざかっていた。おどけた口調の宰蔵に、桐子はぼんやり視点を合わす。
 は? トマト??
 宰蔵の言葉に脈絡がないのはいつものことだが、これはない。
「カナが、何だって?」
「トマトとランデヴー。あーもしかしたらナスに乗り換えたかもね」
「ちょ、一体何言ってんの」
「うん。だから、この時間なら陳列中」
「陳列中、って。はあ?」
 単語がちっとも繋がらない。困惑する桐子に、宰蔵は面白い玩具を見つけたような顔をする。
「だから、カナはスーパーでバイト中」
「は……あ? バイト……?」
 トマトとランデヴー。ナスに乗り換え。陳列中。
 何となく繋がった。意味は、どうにか理解できる。
「野菜売り場で陳列してんの見たんだよ。物凄い勢いで口止めされたけど」
 あ、そだった口止めされてたんだっけ、と宰蔵は自分の頭を軽くはたく。
「何、それ。私初めて聞いた」
 桐子は加仲から一言もそんなことを聞いていない。
「あーそりゃ、言ってないだろうしね」
「え、でも。言ってくれればいいじゃん」
 一緒に帰れないのも先に帰っちゃうのも、バイトがあるからだと。それなら、桐子にも納得ができた。そっかー頑張ってね、って言うことだってできた筈。
「つか、ヤダって。カッコ悪いっしょ。スーパーであくせくバイトだよぉ? エプロンつけてさ。桐子姫には特に見せたくないに決まってんじゃん」
 いやそれ意味わかんないし。
 桐子はむう、と顔を歪める。
「どうしてバイトなんか始めたんだろ」
「――桐子姫、来月誕生日って聞いたけど」
「ん? ああ、そうだよ」
「プレゼント買うって張り切ってたけど、カナ」
 バイト→お金→プレゼント。宰蔵の言葉で全てが繋がる。用事があるから、というのはこのことだったのか、と。
「嘘……」
「ウソつく必要ないよね、俺」
「――……え、でも、ウソぉ」
「だから嘘なんかじゃないって」
 俺の話聞いてる? と、宰蔵が桐子を覗きこむが、彼女はそれどころではなかった。驚いて、それから慌てたように携帯電話を取り出す。ああ、投げつけなくて良かった本当に良かったと胸をなで下ろしつつ。
「カナもさぁ、ひとこと言えばいいのにさ。恥ずかしがったり気配りにかけてっから、桐子姫しか相手にしてくんないんだよ」
「じゅーじは違うもんね」
 宰蔵の周りにはいつも女の子がいて。全く不自由していなくて。来るもの拒まず去る者追わずで節操なくて。間違いなく碌でもないのに何故か嫌われることはなくて。
 そういう意味を込めて桐子が言うと、宰蔵は一瞬目を細めた。
「さあ、どうだろ」
 その一言はいつもの彼とは違っていて、違和感があって、だけれどそれが何かが解らなくて。でも何か言わなくちゃと口を開きかけた桐子の言葉を遮るように、宰蔵が彼女の口を片手で塞いだ。
「ヨカッタね~桐子姫。“その気”にならなくて」
 未遂ってやつだよ、危なかったよね。と片目を瞑る宰蔵に桐子は一発くらわす。冗談でもそれ以上は言うな、という意味を込めて。
「で。カナんトコいくの?」
 イテテ、と桐子が軽く殴りつけた腹部を押さえる為、彼女の口から手を外しながら宰蔵が聞くので、桐子は少しだけ考えて。結論を出す。
「ん、やめとく」
「そっか」
 宰蔵に聞けばどこのスーパーか教えてくれるだろう。偶然を装って行き、声をかけることも考えた。トマトと仲良くなった? と聞くのもいい。
 けれど。
「カナ、頑張ってくれてるんだよね。だったら待つよ。誕生日、楽しみだから。そんで思い切り喜ぶんだ」
 来月が待ち遠しいよね、と桐子は片目を瞑る。
「うーわ、桐子姫。俺、惚れそ。今からでも遅くないし、俺に乗り換えない?」
「乗り換えない」
「おおっと、俺、失恋」
 失恋も何もあんた私で遊んでるだけでしょ、と思いはするが口にはしない。
 桐子は立ち上がり、真正面から宰蔵を見た。
「今度ジュースでも奢る。マジ、ありがとね」
「いやいや。俺もうっかり秘密もらしたし」
 じゃあね、と手をひらひらさせて。桐子は教室を後にする。
 先ほどまでの気持ちはすっかり軽くなっていて。
 怒りも悲しみも癒えてしまっていて。
 少しだけ宰蔵によろめきかけた自分を叱咤するように、桐子は携帯電話を握りしめる。
「まあ、未遂だしね」
 と、都合よく解釈して。

 

(初出:2011.5.25)