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それは未遂というもの

 思わず携帯電話を投げ捨てそうになり、桐子は慌てて思いなおした。
 いや、投げつけたら壊れるでしょ確実に。一人ごちてため息をつく。
「はろ、桐子姫」
「ん~」
 誰もいなくなった放課後の教室。椅子に座りぺたりと机に突っ伏した桐子は、その覚えのある声に力なく答えた。
「あんた帰んないの、じゅーじ」
「帰ろうと思ったら、桐子姫みつけたからさ」
 じゅーじ、こと十時宰蔵(とときさいぞう)はふわふわ笑いながら桐子の前の席へと座る。
「ねえねえお姫様、王子様はどーしたの?」
「ちっ」
 全く邪気のない能天気かつ天然な聞かれ方に、桐子はキレそうになったのを舌打ちでどうにか打ち消す。今この状態で聞かれたくないことを的確についてくる、敵はさるもの、腹が立つ。
 知ってて“王子様”とか言う辺りが更に苛つかせる原因だ。
「ぶん投げたら壊れるよね、ケータイ」
「だよねーわかってるよーんなこと」
 棒読みで適当に桐子が言うと、宰蔵はだよねぇ、と頷く。
「で、カナを待ってんの」
「……うーわ、ヤな奴」
 本当に本当に嫌な奴ですよ、と桐子は重ねる。
「つか、知らないってあんな奴。メールしても電話しても忙しいって相手してくんないし」
 あまりにも相手にしてくれないのでキレそうになり、先ほど携帯電話を投げ捨ててやろうかと思った程だ。ふざけんなーいい加減にしろーって怒鳴ろうにも電話は繋がらず。
 ふてくされたまま、桐子は投げ捨てるように言う。
「加仲(かなか)さんはぁ、忙しくって私の相手なんてしてられないってさ」
 久しぶりに名字をちゃんと呼んだかもなぁ、と桐子は思う。彼女も宰蔵と同じように、カナと呼ぶのが定着してしまっている。一度“カナカナ”とふざけて呼んでみたら、見事にヤメロヤメないとキリキリって呼ぶぞと言われてしまったので、それ以降呼ぶのはやめた。
「そもそも、付き合ってくれって言ってきたのはそっちだっての。もー私って何なんだろ」
 一緒に帰ろうと思ったら既にいなくて。ごめん用事があるからって軽く言われて。それが今日だけならまだしも、かれこれ一週間近く続いているものだから。そんなに私と一緒にいるのが嫌なのかよ、と言いかけた言葉を飲み込んだ自分って大人。などとどうにか自分を騙くらかして、愚痴ろうとした友達には「ごめ~ん、この後カレシと会うからさぁ」とかさらりとお断りされた。
 はあ、とため息をまたひとつ。
 自分が何かしたのかな、とか。
 もしかしたら嫌われてしまったかもしれない、とか。
 あれこれ考えては不安になって。
「……でも、絶対泣かねぇ」
 自分は怒っているのだ。桐子さんは怒っているのだよ。
 悲しい、わけじゃ、ないのだ。
「って」
「ん」
 あれ、と桐子は目線を上にやる。
 頭の上には宰蔵の手があって。やさしくやさしく撫でられていて。
「何してんの」
「イイコイイコ~」
「私は子供かっ」
 思わず噛みつくが、宰蔵はどこ吹く風だ。
 そのあたたかな手は、麻薬のように桐子の心に入り込む。心地が良いので、困る。
「サンドバックは無理だけど、抱き枕にならなるよ~」
 頭の上から聞こえる声に桐子は眉根を寄せる。意味がよく解らない。
「どうでしょう、下僕などはいかがでしょうか、お嬢様」
 お姫様がお嬢様になっている。
「あんたさ、頭ワイてる?」
「はい、わいてます。更に、出血サービス中でございます」
「気持ち悪いんだけど、その丁寧語」
「おや、喜んでもらえたのなら幸いですね」
 ちらりと見れば、宰蔵は片目を瞑った。どう考えてもからかわれている。
 はああ、と三度のため息。しょうもない時間を過ごしたが、少しは気が紛れたので桐子は小さく笑ってみせた。
「桐子」
 ふ、と。
 桐子は頭を起こす。瞬きをすると、思ったより近い場所に宰蔵の顔があった。
「弱みに付け込むのは、卑怯だったり?」
 何故か、いつもよりも声が低い気がした。ああ、まだ遊びの延長なんだな、と桐子は勝手に思って。そう思うことにして、鼻で笑う。
「バカ。付け込む気なわけ?」
「気なわけ」
「は……」
 何考えてんのアホじゃない、と出かかった言葉はどうしてだか消えていった。
 宰蔵の手が桐子の頬に触れる。あったかいなー、とのんきに思う。何故か目が合うと、ふわと笑った。
「俺だったら、桐子を泣かせないのにな」
 いや、私泣いてないけど!? と反論しようとしてあ、マズイと思わず唇を噛んだ。瞬きをしたらダメだ。口を開いちゃダメだ。つん、とこみ上げるものを桐子は下すように指令を送る。脳へ指令、脳へ指令、泣いちゃいけません。泣かないとさっき決めた筈です。
 深呼吸をすると、宰蔵がまた桐子の頭を撫でた。どーしてこう反則技を使うかな、と彼女は心の中で叫ぶ。楽になれそうな気がして、本当に困る。
「桐子」
 いやさっきまで“桐子姫”って呼んでたじゃん。
 まてまて、“お嬢様”だったっけ。
 近づいてくる宰蔵の顔に、唇に、桐子はあれ、と思って。
 すがっちゃうのもアリかもね、とか勝手に考えてて。
 考えた、心は。

「……カナ」

 自分の口から出た言葉に、桐子は驚く。
 目の前にいるのは、宰蔵。にもかかわらず、彼女が求めるのは彼ではなく。

「ん~、カナならトマトとランデヴー」
 気が付くと桐子の目の前から宰蔵の顔が遠ざかっていた。おどけた口調の宰蔵に、桐子はぼんやり視点を合わす。
 は? トマト??
 宰蔵の言葉に脈絡がないのはいつものことだが、これはない。
「カナが、何だって?」
「トマトとランデヴー。あーもしかしたらナスに乗り換えたかもね」
「ちょ、一体何言ってんの」
「うん。だから、この時間なら陳列中」
「陳列中、って。はあ?」
 単語がちっとも繋がらない。困惑する桐子に、宰蔵は面白い玩具を見つけたような顔をする。
「だから、カナはスーパーでバイト中」
「は……あ? バイト……?」
 トマトとランデヴー。ナスに乗り換え。陳列中。
 何となく繋がった。意味は、どうにか理解できる。
「野菜売り場で陳列してんの見たんだよ。物凄い勢いで口止めされたけど」
 あ、そだった口止めされてたんだっけ、と宰蔵は自分の頭を軽くはたく。
「何、それ。私初めて聞いた」
 桐子は加仲から一言もそんなことを聞いていない。
「あーそりゃ、言ってないだろうしね」
「え、でも。言ってくれればいいじゃん」
 一緒に帰れないのも先に帰っちゃうのも、バイトがあるからだと。それなら、桐子にも納得ができた。そっかー頑張ってね、って言うことだってできた筈。
「つか、ヤダって。カッコ悪いっしょ。スーパーであくせくバイトだよぉ? エプロンつけてさ。桐子姫には特に見せたくないに決まってんじゃん」
 いやそれ意味わかんないし。
 桐子はむう、と顔を歪める。
「どうしてバイトなんか始めたんだろ」
「――桐子姫、来月誕生日って聞いたけど」
「ん? ああ、そうだよ」
「プレゼント買うって張り切ってたけど、カナ」
 バイト→お金→プレゼント。宰蔵の言葉で全てが繋がる。用事があるから、というのはこのことだったのか、と。
「嘘……」
「ウソつく必要ないよね、俺」
「――……え、でも、ウソぉ」
「だから嘘なんかじゃないって」
 俺の話聞いてる? と、宰蔵が桐子を覗きこむが、彼女はそれどころではなかった。驚いて、それから慌てたように携帯電話を取り出す。ああ、投げつけなくて良かった本当に良かったと胸をなで下ろしつつ。
「カナもさぁ、ひとこと言えばいいのにさ。恥ずかしがったり気配りにかけてっから、桐子姫しか相手にしてくんないんだよ」
「じゅーじは違うもんね」
 宰蔵の周りにはいつも女の子がいて。全く不自由していなくて。来るもの拒まず去る者追わずで節操なくて。間違いなく碌でもないのに何故か嫌われることはなくて。
 そういう意味を込めて桐子が言うと、宰蔵は一瞬目を細めた。
「さあ、どうだろ」
 その一言はいつもの彼とは違っていて、違和感があって、だけれどそれが何かが解らなくて。でも何か言わなくちゃと口を開きかけた桐子の言葉を遮るように、宰蔵が彼女の口を片手で塞いだ。
「ヨカッタね~桐子姫。“その気”にならなくて」
 未遂ってやつだよ、危なかったよね。と片目を瞑る宰蔵に桐子は一発くらわす。冗談でもそれ以上は言うな、という意味を込めて。
「で。カナんトコいくの?」
 イテテ、と桐子が軽く殴りつけた腹部を押さえる為、彼女の口から手を外しながら宰蔵が聞くので、桐子は少しだけ考えて。結論を出す。
「ん、やめとく」
「そっか」
 宰蔵に聞けばどこのスーパーか教えてくれるだろう。偶然を装って行き、声をかけることも考えた。トマトと仲良くなった? と聞くのもいい。
 けれど。
「カナ、頑張ってくれてるんだよね。だったら待つよ。誕生日、楽しみだから。そんで思い切り喜ぶんだ」
 来月が待ち遠しいよね、と桐子は片目を瞑る。
「うーわ、桐子姫。俺、惚れそ。今からでも遅くないし、俺に乗り換えない?」
「乗り換えない」
「おおっと、俺、失恋」
 失恋も何もあんた私で遊んでるだけでしょ、と思いはするが口にはしない。
 桐子は立ち上がり、真正面から宰蔵を見た。
「今度ジュースでも奢る。マジ、ありがとね」
「いやいや。俺もうっかり秘密もらしたし」
 じゃあね、と手をひらひらさせて。桐子は教室を後にする。
 先ほどまでの気持ちはすっかり軽くなっていて。
 怒りも悲しみも癒えてしまっていて。
 少しだけ宰蔵によろめきかけた自分を叱咤するように、桐子は携帯電話を握りしめる。
「まあ、未遂だしね」
 と、都合よく解釈して。

 

(初出:2011.5.25)

雨が降ったら

「依沙(いさ)にとってさ、雨ってなに?」
「――はぁ?」
 俺昨日ケータイの機種変したんだけど、どう? とか言っていた宰蔵(さいぞう)が突然切り出した話についていくことができず、依沙は思い切り顔をしかめた。何故にこいつはこう脈絡のない話し方をするんだろ、と思うがいつものことで。これこそ彼女の知る彼そのもので。
「雨って……雨は雨でしょ」
「うん」
 当たり前でしょ、と依沙が言うのに宰蔵はにこにこ笑うだけで。特に答えを気にしていないのか言っただけで意味がないのか。どちらにせよそうたいした問題ではないだろう、と依沙は思う。思いつきで言ってみるだけ、というのが多いのだ。宰蔵という奴は。
「なんかさ、答え必要?」
「あったら必要」
「特にないけど」
「そか」
 じゃあいいや、と宰蔵は何度も頷いた。見ようによっては、軽くリズムを取っているようだ。心なしか歩き方も軽い。そのうち鼻歌でも聞こえてきそうだった。
「雨ねぇ」
 溜息混じりに依沙が呟いた。空は快晴。天気予報は晴れ。雨が降る気配などなく。
 依沙は隣をふわりふわりと歩く宰蔵へと目を向ける。
 解っている。
 呼べば、応える。
 ひとこと、名前を呼べばどうしたんだよとか言って笑うだろう。
 幼馴染だとか。腐れ縁だとか。親友だとか戦友だとか。“くくり”にしてしまうのは簡単で。多分依沙は、それに甘えている。そんな自分にも気が付いている。
 でも。
 だって。

 ――仕方がないじゃないか。

 こんなに心地よい場所を、依沙はもうひとつしか、知らないのだから。
 横を行く宰蔵が気付いたのか、こつんと依沙の頭を小突いた。お返しに、彼女は彼の脇腹を軽くどつく。アイタタタ、と宰蔵が大仰に身を屈めるので、更に背中を叩いた。
「イタイ~依沙ちゃんてば、ランボー」
「っるさい」
「愛情表現?」
「……今日も頭が春だね」
「ん。それは良く言われるかな」
「褒めてないし」
「知ってる」
 片目を瞑って宰蔵が面白そうに笑う。遊んでるよね私で、と思うと腹が立つから自分が相手をしてやったのだと思うことにした。
 少しだけ考えて。
 依沙は口を開く。
「サイゾー」
「うん? 何?」
 きょとんと、宰蔵が依沙を見る。笑いはだいぶ治まったのか感じの悪い顔ではなかった。

「雨」
「あ?」
「サイゾーにとって雨って、何?」
 同じ質問を返すと、宰蔵はす、と真顔に戻った。いつも笑っていることが多いのでこんなに表情の抜け落ちた顔を見るのは久しぶりな気がした。何マジな顔してんの、と言いかけた依沙は言葉を止めた。本能だ。
「!」
 ぎゅ、と。依沙の腕が宰蔵に握られる。突拍子もない行動はいつも通りだけれど。僅かに俯いた顔はいつも通りではなく。依沙はどうしたのと聞こうとした言葉を飲み込んだ。離してと振り払うのも忘れて。
「……」
 宰蔵の、唇が、動く。
「雨は……恐怖」
「は?」
 小さな声に思わず聞き返しそうになり。依沙は顔を上げた宰蔵と視線が合った。ふ、と彼は力なく……ほほ笑んだ。
「俺にとってさ、雨は恐怖ってやつさ」
 言ってから、宰蔵は依沙の腕を離した。一瞬だけの、あの、彼を。依沙は気のせいだったのかと思った。だが、ぎこちなく空を見上げる宰蔵は、確かにあって。間違いでも思い違いでもなく。
 あれは、誰だった……?
 雨なんて、降る気配もないのに。
「サイゾー」
 呼ぶと、宰蔵は振り返る。これは、絶対。
 とらえどころのない笑みは変わらない。綺麗な顔で綺麗に笑う。綺麗、すぎる。
「どした依沙? どっか寄ってっか?」
 既に先ほどの余韻すらなかった。いつもと変わらない見慣れた彼。別人のようだった彼は既に隠れてしまっていたけれど。
「雨降ってきたら、傘持ってサイゾーんとこまで行ってあげるよ」
 勝手に言葉が出た。
 言葉になってしまった。
 宰蔵は。「傘」と小首をかしげて。やがて。嬉しそうに眼を細めた。
「やべぇ。何ソレ。俺、すっげ依沙のこと好きすぎる」
「あー、はいはい」
「ハグっていい? ついでにキスしちゃってもいい?」
「絶っ対、嫌」
「んじゃ、傘買っといてよ」
 突然立ち止まり、宰蔵が依沙を覗き込む。間近に顔が迫ってくるのを依沙は両手で押しやる。宰蔵に背中を向けると、依沙は脱力しながら言った。
「傘なら買っとくから」

 

(初出:2009頃?)

夢であってと、願う。

 抱えた腕の痛みが、いやにリアルで。かすれた息が近すぎて。細めた目が、やわらかに見つめていた。
「……」
 名前を、呼ばれた。震える腕がのびてきて、頬に触れた。そこで彼は、自分が涙を流していることを、知った。
「男が、涙見せるんじゃ……ないよ」
 ふふ、と。彼女は笑って。
 そのまま、目を閉じた。
 そして。
 そのまま、動かなかった。

 

 駅で見知った後姿を見つけて。依沙は小走りに近づいた。
「おはよ、サイゾー」
 ぽん、と腕を叩く。
「!」
 はっとしたように、宰蔵が身を引いた。
「? どしたの」
 きょとんと、依沙は小首をかしげた。いつもうるさい位に元気で、笑顔で冗談を飛ばすのだが。今日に限って、彼は神妙な顔をしていた。
「なんか、調子狂うんだけど」
 困ったように依沙がバシバシ宰蔵の背中を叩く。乱暴なことをしても、さらりとかわされるのが常だ。
が。

「わっ」

 突然、宰蔵は依沙を抱きしめた。
「ちょ、サイゾー。何してんの!」
 驚いた依沙がじたばたするが、宰蔵は腕の力を強めるだけだった。抱きすくめられ、身動きができず。依沙はふう、とため息をつく。
 実を言うと、物凄く恥ずかしい。駅だ。人通りはそりゃもう多い。ちらちら見る暇人だっている。

「あーもう。どしたの、サイゾー」
 呆れたように。諦めたように。依沙が宥めるように、言った。

「依沙」
「うん。何?」
 今更、幼馴染の突飛な行動をどう言ったところで、無駄な足掻きだ。とことん付き合うしかないだろう。そういう点で、依沙は腹を括る思い切りが良い。

 ――夢だ。
 アレは。
 全部、夢の出来事。
 じゃなかったら。
 宰蔵は、依沙の肩に顔をうずめ、ぽつりと、呟いた。

「……なんでもない」

 

(初出:2008頃?)

加糖ミルクティ

 雑誌の立ち読みは、お断り。
「……何の用?」
「オカイモノですヨ」
 三十分近くも読んでた雑誌をやっとラックに置いたと思ったら、缶コーヒー(ホット)を恭しく差し出しやがった彼は、悪ぶれることなく無邪気にそう言った。
 依沙(いさ)はハンディを持ったまま思い切り、これ以上ないくらい深く、ため息をついた。
「何ソレ、ちょっと感じ悪いっしょ」
 バーコードを読み取ったレジの液晶をひょいと覗き込みながら、彼は唇をとらがせる。
「サイゾー」
「うん?」
 呆れたように呼ばれ、彼、宰蔵(さいぞう)は律儀に返事をした。依沙が読み上げた金額を、きっちり百円玉一枚と十円玉二枚で払う。彼女はさっさと小銭をレジに放り込み、慣れた手つきで店名入りシールを缶に貼り付けた。
 駅前。コンビニ。午後9時48分。依沙は学校終了後、ここで週に4日働いている。駅前とあって顔見知りの生徒も来る。なんだかんだでいつも忙しい。
 今夜は少々客が少なかったが。宰蔵の他に、今はいない。もう一人のバイトは事務室で煙草を吸っていて出てくるつもりはないらしい。確かに依沙一人で事足りるが。
 缶コーヒーを渡されても、宰蔵はレジ前から動かない。ったく、と依沙が舌打ちした。
「十五分、待てる?」
「楽勝」
 聞くと、元気な宰蔵の声が返ってきた。
「ん。じゃあどきな」
 右手でヒラヒラと依沙がやると、彼は缶コーヒーを振ってみせた。ようやく、レジ前から動く。振り返りもせずに扉を開けて出て行くのを、依沙はなんとなく見送ってしまってから。置いていかれたレシートを、レジ横の箱に入れた。
 今日のシフトは十時まで。この時間は大してやることもないから、ほぼ時間通りに上がれるだろう。夜勤の人に引継ぎだけすればいい。
 店内に客はいない。少し迷った後、依沙はホットドリンクの補充をすることにした。だらだらとやっていれば、そのうち時間になるだろう。

 

 駐車場の隅、店内の明かりもあまり届かないような所に宰蔵はいた。コンクリートの低い壁に腰掛けて。
 依沙に気づくと、やる気なさそうに片手を上げた。
「おつかれー」
 労いの言葉に、依沙は「はいはい」と投げやりに返事をする。それから、彼の隣に同じように座り込んだ。
 依沙と宰蔵は、幼馴染だ。家が近所だったこともあって、小さい頃からよく遊んだ。気も合い、互いに楽な相手なので高校生になった今でもこうやって一緒にいることが多い。
「で。今日は相手にしてくれる女の子がいなかったとか?」
 聞くのもメンドクサイ、という態度で依沙が聞くと、宰蔵は「まあな」と笑った。
「臨時休業ってヤツ? 俺のムスコがもたないのさ~」
「……」
 はあ、と依沙は大仰にため息をついた。バカは死んでも治らないというが、本当だよなーなどと一人ごちる。
 彼女の隣の十時(ととき)宰蔵は、美形だ。とはいえ美的センスは誰しも違うものだから何ともいえないものだが、ごく一般的に見て彼の容姿は所謂、面食いの女共を一瞬にして黙らせてしまえるようなそういうものだ。まあ、依沙も男は顔が良いほうがいいに決っているから、宰蔵の容姿がいいことは認めている。
が。
 宰蔵は自分のことを解かっているのか知らないのか、寄ってくる女共を邪険にすることは一切ない。「来るもの拒まず」ってやつだ。どこかへ一緒に行こうといえばついていくし、好きになってくれと言われれば好きになる。
 要は、バカなのだ。
 ともかく、依沙にしてみれば宰蔵はバカ以外の何者でもない。
 あっちへフラフラこっちへフラフラで、実体があるのに妙にふわふわしている。つかみ所がなく、故に敵も味方もない。
 女を食い散らかしているだけだと依沙は思うが、他の女の意見は違う。無邪気で可愛いのだと言ってのける。
 ――どこが「無邪気」で「可愛い」のよ……と、依沙は毒づくのだが。
 こんなだから同性からは蛇蝎のごとく嫌われるだろうと思いきや、そうでもない。彼は誰に対しても態度が全く変わらないのだ。女だろうと男だろうと、同じように接する。
 ――ただ、一人を除いては。
 依沙は宰蔵の腕で鈍く光るものに、目ざとく気づいた。
「こんなバングルしてたっけ」
 袖から見えるシンプルなシルバー。宰蔵はこの上なく、嬉しそうに、笑った。
「大智(だいち)がくれた」
「……ああ」
 成る程、と依沙は塀に両手をついた。
 綺麗な顔を物凄く綺麗な笑みの形にして。宰蔵は幸せそうに腕のバングルに触れる。何も知らない人が見たら、この艶っぽい顔に騙されるんだろうな、などと依沙は思ってから。
「あんたって、ホント、クリス好きだよね」
「うん」
 無垢で汚れない天使のように目を細めて静かにやわらかくゆるやかに、宰蔵は笑みを浮かべている。幸せそうな、顔で。
 クリス。栗栖(くりす)大智もまた、依沙と宰蔵の幼馴染。暴走しがちの依沙と、ふにゃふにゃの宰蔵の手綱を上手く取っている器用な男だ。小さな頃から責任感が強く、頼れる兄のような存在で。高校生になった今も、嫌な顔ひとつせずに二人に手をさしのべる。
 宰蔵は大智と呼び、流石に依沙は名前で呼ぶことに抵抗を覚えたのか、苗字からクリス、と呼ぶ。
「大智は俺の王子サマだからなー」
「――痛ッ。それ、サムすぎ」
 すりすりとバングルに頬擦りしながらうっとり言う宰蔵から、依沙は身を離す。
「マジ、ですヨ?」
 きょとんと宰蔵が小首をかしげるので、依沙は思いっきり顔を歪めた。彼女はそこそこ整った顔立ちをしているが、これはないだろう、という程崩れたものだった。
「うわぁー。なにそれ、ええと、ホモ、とかそーゆーやつ?」
 ヤだなぁ、近づきたくないなーと依沙は容赦なく続けた。対して宰蔵は飄々としたものだ。真っ向から同性愛者なんじゃないのと言われたところで、何処吹く風で。
「んん? そゆのとは違うっしょ。もっとこう、精神の深いトコのものだけどねー」
 余計ヤバイんじゃないの、と依沙は更に宰蔵から遠ざかる。件の宰蔵はというと、わずかばかり目を細めたまま宙を見ている。大智の幻影でも勝手に作り上げているのか。夢見る少女のようだ。
 鳥肌の立ちそうな依沙に、宰蔵はやっと視線を移した。お綺麗な顔の、口が開く。
「大智とエッチしたいとか思わんしね」
「――あたしに、どう返せと?」
 奇妙な沈黙。
 依沙は、一応解かってはいる。宰蔵が大智に求めるものは、カタチだけのものじゃなくて。もっともっと、深くて暗くて儚いもの。宰蔵は大智が好きだと言う。大地も宰蔵を好きだと言うだろう。だが、その意味合いは違うのだ。
 大智は、気づかないだろうが。
 だから、大智は宰蔵にとってのかけがえのないものなのだ。
 彼にとって、譲れないものになる。何よりも優先すべきものになる。トクベツ、なのだ。
 宰蔵は手をのばして。離れた依沙に体ごと近づいた。彼女は一瞬迷ったが、面倒なのでそのままでいることにした。彼はのばした手を、依沙の髪の毛の上に置いた。
 ぽんぽん、と。軽く撫でる。
「……どうしろって?」
「聞いててくれればいいヨ」
 実はあまり頭を撫でられるのは、好きじゃない。でもまあいいか、と依沙はされるがままにした。何だか宰蔵に頭から押さえつけられているようで、ちょっと……いやかなり気分はよくないのだが。
「今日はさ、まー見事にすっぽかされちゃってさぁ」
「ふん。珍しい」
 女が宰蔵をすっぽかすとなると、相当のことだろう。
まあ、大方ダシにでも使われたんだろうね、と依沙は勝手に思う。当て馬にするのには格好の男なのだ、十時宰蔵というのは。
「で。何であたしんとこに来たのよ」
「話、聞いてくれそうだからー」
 満面の笑みで宰蔵が宣言する。依沙は脱力する。わざわざバイト先まで来て、話を聞くまでレジから動かない腹積もりだったのだ、この男は。平気でそういうことをする奴なのだ。
 甘い、と我ながら依沙は思う。
「忙しいから、帰るよ」
「うん。いいよー」
 立ち上がると、宰蔵は依沙の頭から手を離した。見上げる顔には、特に何もない。いつも通りだ。依沙が行こうとするのに、追う気もなさそうで。
 一歩、踏み出そうとした依沙は。
「――はあ、ったく!」
 息を吐き出して、右手で額を覆った。
 全く、いつもこれだ。敵わない。
 びし、と。依沙は宰蔵に人差し指をつきつけた。「E.T?」と彼が自分の人差し指をくっつけようとするのを払いのけて。
「ミルクティ、奢って。缶でいいから」
「アイアイサー」
 ぴょこんと宰蔵が立ち上がった。結構背の高い彼は、長い足で真っ直ぐコンビニ脇の自動販売機へと向かう。ポケットにあった小銭を投入して、迷うことなくミルクティのボタンを押した。ガコン、と缶が落ちる音がして。宰蔵は身をかがめて、取り出し口に手を突っ込む。
 依沙は、そんな彼の後姿を見ながら。
 ため息すらつけなくなってしまって。
 宰蔵は、昔からこうだ。いい加減だが、自分が決めたことには頑固で。別にいいよ、と言われても仕方がないなと付き合ってくれる、依沙のことをちゃんと知っている。だから、さっき引きとめもしなかった。
 自分の性格も理解した上で、依沙は我ながら甘いなと思う。
「ほい、ミルクティ」
「どーも」
 渡されたミルクティは、きちんとプルタブが押し開けてあった。一口依沙が飲むと、妙にドロドロしたおどろおどろしい奇妙な音楽が流れた。
「……」
「んー、メール」
 何とかならんのかよ、その着メロは。と依沙は思ったが口にしなかった。
 ごそごそと、宰蔵が携帯電話を取り出す。片手で開いて、ディスプレイを確認。
「!」
 その顔で、誰からか依沙にはすぐに解かった。
 はじけるような笑顔。ご主人様を見つけた犬のような。
 聞くまでもない。
 大智だ。
「嬉しそうねー」
「最っ高に」
「ああそう」
 よかったね、と投げやりに依沙は言った。
「何でサイゾーってクリスが好きなの」
 ずっと、聞きたいと思っていた。幼馴染で、小さい頃から知っていて。でも、こんな風に大智のことを公然と「ラブ、王子サマ」と言う宰蔵が不思議だったのだ。
 宰蔵は、少しだけ黙って。数秒してから、やっと口を開いた。
「じゃあさ、魔法が使えたとするとー」
「……随分唐突ね」
「依沙は、何したい?」
「は?」
 突然ふられた質問の意味が理解できず、依沙は眉根を寄せた。宰蔵はにこりともせず、依沙をじっと見ている。
「あたしが何したいかって、こと?」
「そ」
 ボケるような雰囲気ではなかったから、依沙は頭をフル回転させて考える。魔法が使えるとして、使えないけど、無理矢理使えると設定する。何をしたいのか。頭の中でやりたいことを思い浮かべる。色々浮かべるが、答えに値するものは特にない。お金持ちになりたいとか、そんな想像力の貧困なことだけで。
 妙に疲れてしまって、依沙は真顔で言った。
「漠然としすぎてて何も思い浮かばない」
「そんな感じかなー」
「はあ?」
 にこりと、宰蔵が笑った。困惑する依沙など、置いてけぼりだ。
「俺が大智好きなの、そうゆう漠然としたものなわけ」
「ああ」
 そういうことか、と依沙は納得する。回りくどいことをされたような気がするが。
「小さい頃からさー、全然気持ちは変わんないんだよ」
 転げまわって駆けずり回ってた日々。何も知らずにただ、その日が楽しければそれでよかった。世界はクリアで明るくて、無知故に幸せだった。
「子供ん時みたいに、佐紅(さく)ちゃんもいれて四人で遊びたいよねー」
 ほわほわと、宰蔵は理想を語る。
 そうだ。
 理想だ。
 依沙には、充分すぎる程解かっている。
 ミルクティが、生ぬるくなってくる。早く飲まなくちゃ、と思うけど。なんだか手を動かしたくなかった。
「無理だよ、そんなの。皆それぞれの生活とかあって、誰だって変わるじゃない」
 そういうものだ。同じものなんて何ひとつとしてない。めまぐるしく変わる中で生きていくのだ。誰もが、例外なく。
 宰蔵は、それでも、と空を見上げるのだ。
「んーでもさ、変わんないモノもある、だろ」
「誰もがサイゾーじゃないんだよ」
 する、と出てきた自分の言葉に。依沙が一番驚いた。
 宰蔵は空から目を離さず、
「そか」
と、言った。

 

「拠り所なんて、何でもいいんだよ」

 

 今日は帰るという宰蔵と依沙は別れた。
「なんなら依沙、俺のお相手してくれる?」
「じょーだん。お断り」
「俺、処女にも優しくするよー」
「!! 蹴るよっ」
「って言いながら、蹴るのが依沙……ってね」
 渾身の依沙の回し蹴りを、後ろにさっと飛んで何なくクリアする宰蔵。怒鳴る依沙からさっさと離れて、「じゃーねー」と手を振った。
「……ムカつく」
 こういう日は、さっさと帰るに限る。
 依沙はさっき飲んだミルクティの甘さに、心持ち顔をしかめた。

 

(初出:2008頃?)